きりぎりすキムさんの放浪(HOBO)日記
中年夫婦のキャンピングカーでのワンコ(コーギー)連れ旅日記。大好きなC級グルメや地方食のレポートや、ワンコかわいさのバカ親ぶりを恥ずかしげもなく大暴露!
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Author:キムさん
かみさんとワンコ(コーギー、年が明けたら7歳)をこよなく愛す。
キャンピングカーでの放浪と、「きりぎりす」と言われるほどギターがすき。うまいヘタは別だが・・・



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# 昭和の子供
IMG_1134_convert_20121106221527.jpg

「昭和の子供」シリーズ、続きです。

「昭和36年 1月」とあるので私は2歳と10カ月、生意気にも鼻眼鏡をかけて絵本をひろげている。絵を眺めているだけなんですが。
月光仮面のマネ?
しかし、私自身には月光仮面の記憶はかなり後から植え付けられたものでリアルタイムではない。はず⁈
むしろ「まぼろし探偵」かな?とも思うのだが、いま調べるとそれをTVでやってた時期って、我が家にはまだTVって来てなかった。
地方だから、2~3年経ってから再放送したのかなぁ?
「まぼろし探偵」は、かなり好きだった記憶がある。
ただし、「まぼろし探偵」のメガネってぜんぜん違うね。もっとオモチャっぽくて仮面に近いね。

炬燵板の上には沢庵のはいった皿、急須と湯のみの三種の神器?(笑)です。
大げさなジャガード織り(?)の炬燵カバーに時代が見えます。
ちなみに、この写真とほとんど同時期に購入したリッカーの足踏みミシンのカバーもこれとほとんど同じ織り、同じ柄だった。

厚着しています。
なぜなら、室内暖房は炬燵しかないから。
室温はたぶん一桁。
長袖の下着シャツ着てシャツ着てセーター着て上っ張り着て。
下半身はパンツにタイツに毛糸のズボン下にズボン。着ぶくれてましたね。
でもまあ、フツーに冬は越せてましたから。
これは私が小学校5年になるときに父親の転勤に伴って東京に出てきた時までずっと続いていた。
東京に出て来て(最初は大田区、やはり社宅)、同級生らのほとんどが真冬でも半ズボンをはいているのを見て心底ビックリしました。

コタツの熱源は電熱器でした。渦巻になってるヤツ。
正月には、そいつをコタツの上に置いてモチを焼いてましたが…(笑)
周辺の友達の家は炭を熾して使っている家がほとんどだったと思います。
当時住んでいた家からバスを乗り継いで一時間くらいの集落にあった母方の祖母の家でも炭のコタツでした。
自分の家のコタツでは潜って遊んでいても、それほど怒られなかったのに祖母の家のコタツに潜ると
「死んじゃうよ」
と、強く怒られました。
確かに、当時は年に何人かは炭のコタツに潜って遊んでいて、一酸化炭素中毒で死んでしまう子供がいたのです。

厳冬期には屋内でも水道が凍ってたはず。
地域的に冬型の天候になると「八ヶ岳颪」が北風となって吹き付け、霜柱はほとんど春まで永久凍土となってしまう土地でした。
後年、親に聞いたら「-10℃」くらいには日常的になっていたらしい。
そんなわけで、田舎にいるときには毎冬ごとにシモヤケに悩まされていました。
耳、手指、足指が赤く脹れ痒くなり、子供だから掻き破ってしまい、衛生状態とたぶんビタミンのバランスや何かですぐに化膿してしまったのでした。
そうなると春まで治らない。子供心にも憂欝な時期でした。

確か4年生くらいのときに「ユベラ軟膏」ってクスリを使うようになってからは、搔き破ってしまうのは防げるようになったのでした。


晩秋からの田んぼでの籾殻焼きの匂いと、甲斐駒ケ岳に沈む夕陽を受けてたなびく煙。

夕方遊んで帰る道の、もう薄氷が張り始めた水溜り。

耳たぶの、いつに無い妙な質感とむず痒さから始まるシモヤケ。

そんなところから、子供の心にも冬の到来が感じられたのでした。



もう一枚の写真の、うたた寝しているホッペタのご飯粒は父親の作為だと聞きました。
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